9代目青学の卒業-私のオタクとしての「死」
5月20日(日)、17:00開演、夜公演。
Dream Live 2018、大千秋楽。
9代目青学が卒業した。
私は青9のうちの一人を昨年のドリライから応援していて、今回の卒業公演を不思議な気持ちで見守っていた。
「卒業」ということ、「最後」ということ。
言葉の意味は理解できるが、実感が湧かない。そのまま公演は始まっていた。
話は遡るが、私は2nd四天宝寺が好きだった。たくさん通えるようなオタクではなかったが、四天を見るたびに楽しくて幸せな気持ちになったし、ずっとずっと四天を見ていたいとさえ思っていた。
2014年、2nd最後のドリライが来て、それもあっけなく終わった。
2nd最後ということは四天宝寺も氷帝も比嘉も立海も「卒業」なわけだが、やはり大きく卒業を祝われるのは青学のキャストだ。
青7が、卒業バラードを歌う。会場が涙を流す。
私はたまアリの一席で立ち尽くしながら、ずっと、ずっと、四天のことを考えていた。
もう大好きな彼らを見ることは叶わないのだと思ったら涙が止まらなかった。
こんなふうに、一度大好きな学校の卒業を経験したからわかることがある。
私はもう、「9代目青学」を応援することは一生できない。
「青9を忘れなければいい。」「卒業しても青9のファンだ。」誰もがそう思うけれど、私は知っている。
もう青9がテニスの王子様のキャラクターを演じることは一切ないし、月日は進んですぐに青10が公演を行うし、私も、周りも「他校や青学の次の代を応援するため」にテニミュに行く。
青9のいないテニミュにすぐに慣れることを私は知っている。
青9の卒業から、早くも4日が経っている。
青9の卒業バラードはすごく綺麗で、青の海に響き渡る彼らの歌声は青春そのものだったように思う。
彼らの涙は眩しくて、切なくて、死んでしまいたいと思った。
青10を新しい家族と言った瞬間の彼らを、私はどんな顔をして見ていただろうか。
彼らが大好きなものを受け入れられないのは辛いな。
私には、9代目だけだったのに。
最後の最後まで、宇野さんはしっかりしていて、ふうまくんは穏やかで、せーちゃんは涙脆くて、優くんはゴールデンが大好きで、将さんは太陽みたいに明るくて、マキちゃんは素直で、ジョナは前を向いていて、雅也はどこか大人で、しんたくんは凛としていて、ながとちゃんは幼くて、紫音は可愛かったな。
だけれど、彼らの挨拶を一字一句思い出すことはできない。
こうして私は彼らの声を、表情を、歌を、演技をうしなっていく。
苦しい苦しい苦しい。
盗撮でも、録音でもしていたら何か変わっていたりして。無機物に縋っても何も意味がないとわかっているのに、考えずにはいられない。
ドリライの大千秋楽から帰ってきた夜、私は2014年のドリームライトを点けてみた。
当分電池も変えていないライトの明かりは少し弱い。
緑の光が、真っ暗な部屋に散る。私は2nd最後のドリライを思い出す。
あれだけ忘れたくないと思っていた彼らの全てを思い出すことはできない。
こうして青9をも無くしてしまうのかと、私はまた泣いた。