night and day

メンヘラオタクブログ

都会では冬の匂いも正しくない

17歳というのは実に奇妙で気持ちの悪い年齢である。

3年前は14歳のガキもいいところという歳なのに、3年経てば成人である。私は絶望した。まだ死にたくはない。コロナが私に与えた人生のモラトリアムは私の人生に考える時間という余暇を与えた。与えてしまった。

真実に気づく瞬間というのは恐ろしい。そして大抵の場合、まさか恐ろしいものとは思えない貌をして。

 

高2の後半から何故だか学校へ行くことができなくなり、だんだんと学校へ行くふりをして家で寝るという最低な生活が日常になった。ああ私、学校行くの好きじゃないよなと、そこにあったのは莫大な憂鬱と妙な納得感だった。自分の中で何かが崩れる瞬間というのは音もなくやってくる。

ちょっと一息、が日常になれば、活動へ使う少しの労力がいずれ身を焼くようになる。人々が活動している時間に罪悪感で枕を濡らしながら、溜まっていく課題を眺め鬱を加速させながら起き上がれない生活。自分が人ではない何かになってしまったようだった。

そんな私だが、3年になったらもう少し頑張りなさいよ、と足りないはずの出席日数に先生方から情けをかけてもらい、なんとか進級した。そこに待っていたのがコロナである。私は常に目を逸らした。今もである。

昨日、二ヶ月ぶりに学校へ行った。その間のオンライン講義や課題の数々、其れに1番必要とされるのは自主性である。私に一番欠けているものも、また。行くのをやめようかと幾度となく思ったが、それを察した恩人とも呼べる友人が時間割と持ち物をまとめたメッセージをくれた。持つべきものは友である。同時に、みんながやっていることを血反吐を吐くような思いで泣きながらやってもなかなか出来ないという、考えないようにしてきた事実を突きつけられ眩暈がした。

 

その晩、ここ二ヶ月の休みで回復しつつあった不眠が私を襲った。 

学校へ行く前日の晩眠れなくなって、まあそれも、帰ってくれば疲労感で眠れることだろうと思っていた。それが全く寝付けないのである。身体は確実に怠く疲れているはずなのに、覚醒している頭。私は絶望した。この自粛期間、数多の苦痛と引き換えに回復したはずの体調すら私を見捨てるのか。一度それに気づくと底知れぬ不安感が私を襲って、涙が止まらなくなった。

もうこれ以上惨めにはなりたくない。大抵の人間がそれとなくこなしているひとつひとつのことが、自分は憂鬱と不安と吐き気でぐちゃぐちゃになりながらでしかできないという事実。私は絶望した。夜はいい。街も、家族も静かで誰の存在も感じないから。私が私としてこの世界で呼吸をできる感覚がある。独りになる、ということ。静まり帰った部屋で、私は東京事変の音楽を涙に溺れながら聴いた。

空が深い深い青から白んでいく時間。ベランダに出る、朝五時の空気。肌に纏わりつく湿度と朝の香り。今日の始まり、甘美な地獄。